上海ベイベと香港ガーデン

自堕落な元バンドマンの独り言集。

Autumn Leaves

や、お久しぶり。随分間が空いてしまったが、どうも俺は友人から催促されないとブログの存在を忘れてしまうらしい。今夜はなんだか眠れなくて、紫煙を燻らせていたらこんな時間になってしまった。腹が減っていよいよ眠れない。すると、ほとんどの人がそうであるように、取り留めもなく様々な考えが浮かんでは消えるものだ。俺のは考えというには物足らない、イメージのかけらでしかないが。

 

例えばそれは、ロックンロール。誰にも聞こえない。

コーヒー。盗まれた星空は堕落の味。

セックス。貪り合うほど満たされない。

芸術。服毒したらそれでおしまい。

青春。その大半は倦怠。

 

新宿のネオンは、人間の命そのものの輝きではないかしら。おそらく首都直下型地震が起きるまで、絶えず輝き続けるだろう。

 

今度はなんとなく聖書を思い出した。来たる日に、全ては彼方へと消え失せるらしい。当たり前だ。太陽だって死ぬ日が来る。もちろん、新宿もいつか死ぬ。

そして、どれほど完全な信仰や知識、森羅万象に通じていても神の御前では一部分。最も大事なのは愛。とかなんとか、そんな感じの説教を思い出した。

ごもっともである。要するに、あの世に金は持ってけないという話だ。キリスト教でいう愛とはもちろん隣人愛のことだから、神さえお見過ごしになさる天災で最愛の人を失ったとしても神を責めるには値しない。神からすれば、通俗的な愛は枝葉のように脆いものなのかもしれない。

俺たち一般からすれば意識高い系の愛はご遠慮願いたいわけで、自ら望んで胸を焼き、絶望の甘露に惑溺する。ゲーテの摩天楼とニーチェの狂気。神への反旗ねえ、人類みなドンキホーテだ。

まあ考えても、考えなくても、やることは変わらない。萌え出づるを愛で、散りゆくを嘆く。象にだってできる。