上海ベイベと香港ガーデン

自堕落な元バンドマンの独り言集。

恋破れて山河あり

文筆家を志す友人の原稿をいただいた。これがなかなか面白くて、勝手に校正などしてるうちにムラムラと、文章書きたいなぁと思いブログをまた新しく始めた次第。

年も明けたばかりだし、古い衣を脱ぎ去り新しく何か始めようとするのは良いことなのではないかしら。文章を書く時はきまって無音。集中しているのが常だけど、趣向を変えてジャズなんか聴きながら書き出している。これも一興なのかな。

 

さて。このままルイ・アームストロングについて書き出しても良いのだけれど、それではこのブログを所望した友人がガッカリするだろうからね。

 

 

「国破れて山河あり」と言う。まあ情景は浮かぶのだが、スケールが大きすぎてしっくりくる人はいないんじゃなかろうか。

「恋破れて山河あり」

一字変えただけで傷心旅行のようになる。なんだか可愛らしくてグッと身近に感じられるので、勝手に変えてしまおう。そのままそこの東屋に腰を下ろすというのも、悪くはない。

しかし、国と恋とを入れ替えるだけで山河のイメージそのものが変化するのは面白い。

前者は国だったものーーー瓦礫だの、生活の跡。巨大な廃墟を物ともしない自然の圧倒。ドローンカメラで撮影したようなパノラマが拡がっているのだが、後者はただの田舎道である。

まあ俺が何となく思いついた言葉がこの名言に優るはずもないのだが、これはこれでアリだなんて思ってる。

退屈なロードムービーのような情緒でいいじゃん。傷心旅行にきたOLが独りごちて苦笑している様が目に浮かぶ。懐石料理より実家の味噌汁が食いてえな、とか考えているかもしれない。奥田民生が聴きたくなってYouTubeで「さすらい」をかける。ロクに観光もせずビールを飲んで過ごす。

小説になるのはどちらかといえば「恋破れて山河あり」かも知れない。国破れて〜は一発ギャグのような出オチ感があって拡がらない気も………や、調子に乗った。

 

いい加減なことを言えばなんにでも「山河あり」と付ければ救われるんじゃないかという気がしてきた。苦笑

では。