上海ベイベと香港ガーデン

自堕落な元バンドマンの独り言集。

蜘蛛

 

部屋に散乱した缶ビールとペットボトルをようやく片付けた。床に転がったり、窓枠に並んだそれらは数十本に及んだ。その時脱ぎ散らかした衣類の隙間から、俺の荒廃した生活を象徴するかのように小指の爪ほどの蜘蛛が一匹這い出てきた。殺そうと思ったが、その張り合いもなく只なんとなく見つめていた。俺は既に見失った蜘蛛の行方を想像しているうちに、この部屋と、この心、同様に主人の与り知らぬところに奥暗い闇が潜んでるように思えた。

俺はこの頃、麻薬をやりたいと思うことがしばしばある。自我を破壊し尽くしてしまいたいという衝動。俺はきっと発狂して麻薬の為にさらに困窮し犯罪に手を染めるだろう。禁断症状は死より恐ろしいものだろう。だが、苦しんでいる男はきっともう俺ではなくなっているだろう。そこまで考えると一体なにが問題なのか検討もつかないのだが、ほとんど考える力も残ってないからかも知れない。それかもっと現実的に俺が行いそうなものでは、精神病院に行きたい。十中八九は鬱と診断されるだろう。そのバッジが欲しい。死ぬまで気狂いとして扱われて、人間の屑として生きたい。

 

詰まる所、俺は手に入れ得る可能性の幸福の全てを唾棄する。一日一箱の煙草とわずかな酒が俺の人生の最大の望みである。己の心が愛せないのだ。心無くして一体なにが嬉しくて生きている。人々はなぜ生きている。なぜ金が欲しい。なぜ成功したい。なぜ死にたくない。いいか。人生に目標のあるやつは一人も信用ならない。みんな悲しい猿だ。利口そうなフリをしてそれぞれのロジックで人生を紐解こうとする詐欺師である。各々の心で日々を実感している人だけが幸福なんだ。そういう人間を想う時だけ俺は涙する。

ただそれも今は、俺の勝手な夢に過ぎないような気がしてきた。社会のエスカレーターを上がっていくゲームが人生なんだとどいつもこいつも勘違いしてやがる。落伍者だってそうだ。社会から落ちこぼれた程度で不貞腐れるようなやつが一番嫌いだ。

別に、ゲームに勝った負けたは初めから関係ないが考えるとイライラしてくる。そんなつまらないが強大なものに人間の心がすり潰されていくのなら、人間は塵芥同然じゃないか。

まったく俺は中学生の頃から思想になんの変化もないことに書きながら気づいた。憎きシステムに対する怒りのために自ら堕落していったのだから、今さら麻薬をやろうとその延長にすぎない。今度ばかりは完全に俺の心を破壊して人形になりたいというだけだ。

 

 

読み返してみたらもはやこれは文章ですらない。怒りと悲しみを書き殴っただけの愚痴だ。劣悪極まる。劣悪だが羞恥は一片も感じずに公開する。