上海ベイベと香港ガーデン

自堕落な元バンドマンの独り言集。

クリスチャンよりセバスチャン

 

俺の部屋にカーテンはある。が、窓についてない。正しくは窓につけていない。煙草のヤニで黄ばんだカーテンを見てなんとなく洗ってみたが、つけるのが面倒くさくなって床に放り投げたまま二週間経った。日差しが恨めしい時は雨戸を閉めて、暗闇を愉しむ。一条の光さえない部屋は目が慣れる事もなく己の手先さえ見えず、ほとんど蔵の中のようになる。俺はようやく安らぎを覚えて、色々と夢想しながら眠ることができる……。

 

 

肉親と憎しみは少し似てる。うちの祖母は今年八十歳になり車椅子デビューもして我が家で共生することになって一月余、弱っているのか甘えているのか、頼られるから俺は真に甲斐甲斐しく世話をしてやってしまった。こうして人を助けてやってロクな目にあった試しがない。彼女から被った被害の数々を並べたらそれだけで短編一本書けそうなものだが、それを差し置いても彼女の醜悪な人間性には愛想も尽きた。贅沢病の傲慢なレイシスト、国家犯罪級の金銭へのだらしなさ。他人の悪口を酒のアテにするのが趣味でおまけに情が激しく騒々しい。食事の際には品のなさが際立つ。ハッキリ言って百姓である。あまりに馬鹿を通り越して愚か者であるから表に出すのが恥ずかしい。

……これを書いていたら丁度今しがた祖母がやってきて直ぐに病院に電話しなければならん、電話貸せと言いにきた。何でもないつまらぬ用紙を手にして。こちらが何を説明しても興奮していいから貸せとしか言わないのだから好きにやらせたら、本当になんでもない事が彼女にも分かったようで、今度はうなだれて涙ながらにお前達がいなくちゃ何にもできねえだの調子のいい事を言うものだから、すっかりシラけた。こいつはどうすれば相手が強く出れないのか熟知している食わせ者なのだ。相手に喋る暇を与えずに五分十分と喋り続けて根負けさせることなど朝飯前。もういい。シラけた。

 

 

「劇団に入ったはいいけど、馬鹿すぎて台本の漢字が読めなくて。本読めって言われたの。それで人間失格読んだら、もう面白くて面白くて。ゲラゲラ笑っちゃったよ。」

「あれ笑う本なんですか?」

「笑う本だよ。」

エンケン。昼間のワイドショーの一節。彼に学が無いのはどうやら事実のようだし、あながち学があるから笑い所がわかる、というものでもないらしい。興味深く思ったので憶えていた。太宰作品の真価というのはかえって知識人には難解なのかもしれないが、素人が一読して了解するほど単純かというと何とも言えないところがある。才能だとかセンスなんだろう。素人だからこそ、というのも一理はあるが。

読書家のほうが本との距離感を掴みにくいこともままある。交際だって好きであればあるほど付かず離れずが難しいものだ。太宰治は俯瞰で読むのが正しい。そういう事もあるのかもしれないが、エンケンの鋭い眼光は脳裏に焼き付いた。

 

 

ここまで書いて窓を開けてみたら日が落ちかけていた。橙と紺が滲む黄昏に、廃品回収車のスピーカー音がよく溶ける。少し頭痛がして、掌を頬骨からおでこにかけて軽く押しつけた。眉の下あたりを揉むようにして頭蓋骨の形を感じた。俺はしっちゃかめっちゃかな文章に一本紐を通すために最初にタイトルを決めるから、さあどうしようかと結局考える羽目になる。

そもそも、元カノにしっかりしろと言われたのをずっと気掛かりにして、取り敢えずカーテンなんか洗ってみたのである。軽く掃除もしてしまった。本当に軽く。別に、言われたからハイそうですかと遵守する気はさらさらない。カーテンつけてないし。幸福そのものに、幸福になって欲しいだなんて言われるのは随分皮肉だと思うのだ。反面、彼女が純に思ったことだと信じるから何ヶ月も気にし続けている。小さい男だ。可笑しくなってきた。そうして床に投げたカーテンを見て、クリスチャンよりセバスチャンと思った。