上海ベイベと香港ガーデン

自堕落な元バンドマンの独り言集。

中二病っていうな!

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ラノベみたいなタイトル付けたいなと思ってこれにしました。毎度毎度のことですが写真はパッケージで特に意味は無い。眠いのに寝れない時もしくは酔ってる時にガーッと言葉を弄ぶ癖があって、だいたいブログはそのテンションで書ききってあとは出来も整合性も知らん、とそっぽ向いてることが多いのですが今回のそれは特に酷い。句読点に気を使うのも面倒なほど眠い。敬語途中で辞めちゃうくらい酷い。

だいたいツイッターって文字制限キツすぎる。ツイッターに書ききれないことが多すぎてブログ始めたんだよそもそも。でも今度はツイッターみたいな感じでブログ更新しずらくなったしこの現状を打破したい。というわけで「中二病っていうな!」。です。

 

えーまず小学生ってすごいって話。km/hって運転しなきゃその感覚わかんないのに、勉強させられてkm/hの観念を先に知る。これは理知だ。っていうツイートの続きが書きたくて。ていうか書き殴りたくて。

で。小学生が観念を理解するというのは自我を介さない純粋思考をしているってことなん。km/hを理解する足掛かりが彼らには無いのにその観念を理解している。これは理知なんじゃね。ここで手触りがどうのだの経験的知識だのオッサン臭いことを言うのは趣味じゃない。エロ本とセックスどっちが先だったよ。後者のやつだけそう言え。

とにかく小学生はすげえ。俺なんかよりよっぽど理知的だ。人類衰退論とか信じたくなってしまう。そう。問題はそこ。

中二病が来る。最初の衰退が。中二病って、なんか世の中と解釈がズレるんだよね。とりあえず中二病とは大まかに「関係性の中での自我を思考すること」として俺は扱うので決して闇の炎に抱かれないでください。

この時期に世界がどうのとか言い始めるとか良く言うけどまあ冗談でもなくって、「理知によって解体されるべき世界」と「感覚に支配された自我」とのせめぎ合いを中二病と呼んでるわけ俺は。で、多くの人はこのどちらかに軍配が上がる形で中二病を終える。でもね、俺はこの闘争が一向に終わるとは思えん。生涯中二病宣言である。全くタイトルと逆のことを宣言するという大罪を今まさに犯しているわけだが中二病なのでご愛嬌。この自我VS世界、理知VS感覚。アメリカとロシアみたいな話だ。いや全然アメリカよりロシアより大きな話だ。

中二病なのでシュレディンガーの猫のような話を出すが、究極の話を言ってしまえば観測されるゆえに世界はあるのか、観測以前に世界はあるのかって話だよ。やばい。このブログめっちゃポップすぎて笑えてきた。うける。

要するに主体が観測者なのか被観測者なのかって話だよ。なんでこんな簡単な話を難しく言うのかと思ったら笑えてきた。で、俺はこれらの闘争に対して「調和」や「平凡」というとりあえずの回答を用意して何年か停戦していたんだが、今、平和が揺れている。

何かというと「世界は自我のうちにある」みたいな旧劇エヴァのようなトンデモなことを大真面目に考え始めてしまって、世界って、結局観測したもの+想像による補完でしょ。今死んだであろうアフリカの子供も含まれてますか?含まれてます。想像したので。今のたれ死んだホームレスは含まれてますか?含まれてます。でもそれ以外は含まれてないし彼らは死んでないかも知れない。これは世界と呼ぶより自我と呼んだ方が適当じゃん。優しい人は他人が傷つくと心を痛めたりするが、これは自我の大きさの話で、他者(世界)が自我の内にあるために、痛いのは当然になる。

この話はこれ以上すると仏教チックになるのでやめる。今日俺は彼女に「人に迷惑をかけてはいけない」だとかそういう事を今日教わったわけで、それがそもそもこの考えの発端だった気がする。随分と長いお膳立てだが中二病なので勘弁してほしい。ハッキリ言って動揺しているのだ。「人に迷惑をかけてはいけない」。難解極まる。彼女は優しいし想像力のある人なので所謂、仏教に於ける「大我」の会得者だ。しかし俺は自他境界のハッキリとしたアスペである。好きな人以外は嫌いな人で嫌いな人はみんな死ねばいいと思ってる残念野郎だ。あのハロウィンの人混みで人を人だと思うにも、隣人愛がなければならぬ…。うーん。ラーメン。